【英語】学習の到着地

1.はじめに(シアトルにて)

「オレの名前はサム。アンタの名前は?」
2024年5月15日、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル、ルーメンズ・フィールド。
今夜、このスタジアムでローリング・ストーンズのコンサートがはじまる。
待ち時間、隣にすわる「サム」というおじさんから声をかけられた。
ピーナッツをほおばるサムさんが自己紹介をはじめた。
「ストーンズを観るために、日本からやってきた」
私はカタコト英語ながらサムさんとの会話を続けた。
シアトルの潮風に涼みながら、ダウンタウンの夕暮れを眺めながら。
ローリング・ストーンズの登場を今か今かとワクワクしながら…。
サムさんとのひとときは、生涯、忘れることはないだろう。
「オジサンが英語をはじめたところで、ブログのネタくらいにしかならない」
そんな苦言を呈されたことがある。
でも、私には、自信を持って反論できる。
「英語のおかげで『ブログのネタ』が書けるなんて、素晴らしいことじゃないか」

2.何のために英語?

英語の勉強を継続する上で、目的は明確にしなければならない。
出世のため?
転職のため?
英語で悔しい思いを晴らすため?
語学の習得は「35歳が限界」という説がある。
「いい年をしたおじさん・おばさんが今さら英語なんて…」
こんな言葉を耳にしたことがある。
「35歳までにはじめなければ、語学学習はアウト」
そんな定説をくつがえしたくて、40歳のときに英語をはじめた。
きっかけは、さる病気で1カ月近く、入院したことにはじまる。
「ああ、これで出世は無くなったな…」
「退院したら、英語でもはじめようかな…」
なにしろ時間はたっぷりあった。
「病院というところは不思議なところです」
そう切り出す初老の患者が私に話しかけてき。
「出たいと思うと入院させられ、まだ出たくないと思うと退院させられるのです」
何かを悟っているようなその先輩患者は、「チャート式英文法」という英語参考書を肌身離さず手にしていた。
「チャート式英文法」こそ、私の高校時代、英語のT先生がススメていた本である。
ここを退院したら、T先生に会おう、そう決めた。
病院を出たらやりたいリストの一番上に、こう書いた。
「40歳からの英語」

3.ビートルズのおかげです

年賀状のやりとり依頼、退院してT先生に手紙を書いた。
高校教師であったT先生は、教職を辞して、英語教育の研究者になっていた。
T先生との出会いは、私が高校1年生のとき。
宿題提出にビートルズの歌詞の一文を書いた。
先生が「その行為」を気に入ったらしく、授業中にその歌をクラスで聴かせてくれた。
以来、私の中で、T先生は特別な存在となっていた。
ビートルズが好きだったので、願わくば、ビートルズを聴きさえすれば、英語がペラペラになれる、という「魔法」が欲しかった。
まあ、実際、そんな甘いものではなかったが…。
ビートルズのおかげで、英語ができるようになったわけでない。
でも、ビートルズのおかげで、T先生とのつながりが持てるようになれた。
何十年ぶりに、横浜のさる場所で先生と再会した。
そこで、先生から一冊の本がのプレゼントがあった。
それが、「マーフィーのケンブリッジ英文法・中級編」であった。
「40歳からの英語」を画策する上で、TOEICテストの目標をあげた。
「できればTOEIC730点、最低でもTOEIC600点突破」
満を持してTOEICにチャレンジしたものの、結果は、430点だった。
40代で600点、50代で730点という長期目標を立てた。
・単語力は、旺文社のマスタリー2000
・リスニング力は、NHKラジオ英会話
・リーディング力は、英字新聞「ジャパン・ニュース」
・文法力は「マーフィーのケンブリッジ英文法」
入院生活を機に、夜型から朝型に生活習慣をシフト。
病休後の職場復帰でも「朝型」を維持した。
職場には、始業時間の一時間前に出勤して、英語の勉強に割り当てた。
その甲斐あって、TOEIC600点を超える成果が現れた。
そのころから、職場でも「英語のできる人」とカウントされはじめたころ。
英語について、同僚から頼られるようになってきた。
そうなると、がぜん、ヤル気が出てくる。
「ワラをもすがる思いで、私の英語力に頼ってくる人のチカラになりたい」
そう考えるようなってきた。
それまでは、英語の勉強が嫌になると、他人と比べることで、モチベーションをあげてきた。
英語が堪能な部下に対しては、露骨にライバル心をむき出しにした。
「英語ができるからっていい気になるなよな」
「いつかギャフンと言わせてやりたい」
もちろん、そうやって、他人と競合して、ヤル気を上げることも必要な場合がある。
それでも、「他人との比較」は、あまりおススメできない。
なによりも、英語の学習目標は、千差万別。
人は人、自分は自分であるのだから…。
TOEICのスコアに一喜一憂することも上達に不可欠だが、それを優劣の材料にしてはいけない。
「上を見てもきりがないし、下を見てもきりがない」のだから…。

4.英語学習のゴール

英語学習を挫折する人は、最終目標があやふやだからではないだろうか?
TOEICスコアの具体的設定は大切だが、結局、それによって「何がしたい」とかが見えてないと、地道な学習の継続は難しい。
TOEICを定期的に受験している人にとっては、高スコアがスゴイ人に圧倒される。
それに比べて、自分はマダマダと碑下してしまうのは仕方ない。
でも、多くの人にとっては、スコアはそれほど気にならない。
TOEIC600点も900点も「英語ができる人はいいなぁ」という感触を受ける。
「何のために英語をするのか?」
私自身、TOEIC600点を突破したら、次は730点。
730点が達成したら、今度はTOEIC800点というように、スコアを少しづつ上方修正していくことで、英語学習を継続している。
でも、大事なのは「その先」である。
TOEIC730点を取って、一体、何がやりたいのか??
この視点は、私には欠けていたのである。
そして、目からウロコの出来事が起こった。

ローリング・ストーンズの復活!

ビートルズと共に、ローリング・ストーンズのファンでもある私。
そもそもビートルズが大好きなのだが、彼らのライバル、ローリング・ストーンズも好きになった。
ビートルズが本命なら、ストーンズは保険、ということころだろうか。
私がビートルズに好きになったのが中学1年の時。
そのころには、ビートルズは解散しており、中心人物ジョン・レノンはすでに他界されていた。
一方、ライバルのローリング・ストーンズは現役続行中。
私世代の洋楽ロックファンは、ビートルズ、ストーンズ、どちらも好きな人が多い。
ビートルズの現役時代には間に合わなかったが、ストーンズの初来日には間に合った世代である。
初来日以来、ストーンズと共に年を重ねてきた、といっても過言ではない。
オリジナル・メンバーのチャーリーが亡くなり、「いよいよストーンズも幕引きか?」
そんなウワサも吹きとばすほど、18年ぶりのオリジナル・アルバム「ハックニー・ダイアモンズ」をリリース(2023年)は、素晴らしかった。
このアルバムを引き下げて、全米ツアーが発表された。
ミックもキースも80歳。
これが最後のツアーとは言いたくないが、それなりの覚悟も必要だろう。
来日を待つか?
いっそアメリカへ行ってみるか?
「アメリカへ行く?」
子育てもひと段落。
そろそろ自分のやりたいことにチャレンジしたほうがいい。
妻や子供たちのとの理解があって、アメリカへ「ローリング・ストーンズを観るひとり旅」のプロジェクトがはじまった。

6.まとめ・私の学習到達点

1年前、私はシアトルの「ひとり旅」に出た。
英語によるチケットサイトでコンサートチケットを購入。
シアトル・タコマ空港での入国審査やチェックインも済ませた。
大リーグの試合も見た
そして、ローリング・ストーンズのライブも!!
グループ紹介の直後、一曲目は「スタート・ミー・アップ」。
キースのギター・リフに合わせて、ミックが叫ぶ。
ああ、この瞬間に立ち会うために、40歳から英語をはじめたんだな…。
そう思えると波が出てきた。
「どうせ40歳で英語をはじめたところでブログのネタくらいにしかならない」
おかげさまで、ブログ(note)では10コラム、社内報でも3回連載で旅行記を掲載。
英語で夢を叶える!
アメリカでローリング・ストーンズをライブを観る
そのネタをブログに発表することができた。
こうしたことは、中高年が英語をはじめる動議つけのヒントになる気がしてならない。

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