英語は「継続していないとダメになる」?
「やっぱり、英語は続けていないとダメになるよね」
ある日、娘がぽつりと言ったひと言に、少しドキッとした。
受験英語では高得点を取っていた娘が、久しぶりにTOEICを受けることになり、「しばらく英語から離れていた」と反省していた場面での言葉だ。
英語学習の世界では、「継続は力なり」というフレーズがよく使われる。
確かにそれは正しい。けれど同時に、社会人にとって「毎日英語を勉強し続ける」ことが、どれほど難しいかも、身にしみて分かっている。
大事なのは、「やるか」「やらないか」の二者択一ではない。
無理なく、やめきらない仕組みをどう作るか。
私はそう考えるようになった。
私にとってのTOEICは「英語能力の人間ドック」
私の場合、毎年11月から12月にかけて、必ずTOEICを受験している。
目標スコアは800点。
とはいえ、直前に猛勉強をすることは、最近ほとんどない。
TOEICは、私にとって「英語能力の人間ドック」だ。
- 今年はどこが鈍っているのか
- リスニングとリーディングのバランスはどうか
- 去年と比べて、何が変わったのか
それを淡々と確認する場。
だから、「やらない」という選択肢は、そもそも存在しない。
当日は、試験を受けるだけ。
それだけで、英語から完全に離れていないという安心感が残る。
5月に英検、11月にTOEICという配置
最近、ここにもう一つ加えようと思っているのが、5月の英検準1級だ。
- 5月:英検準1級
- 11月(または12月):TOEIC
この配置が、思いのほかしっくりきている。
5月の英検は、年度の第1回。
語彙、読解、要約、ライティングと、「考える英語」が問われる。
一方、11月のTOEICは、処理力と反射神経の総点検。
結果スコアも年内に出そろい、一年の締めくくりとしてちょうどいい。
この2つを置くだけで、
一年のどこかに必ず「英語を意識せざるを得ない時期」が生まれる。
毎日勉強しなくても、完全には怠けられない。
それくらいの緩い緊張感が、今の自分にはちょうどいい。
「時間が空いたらやる」くらいが続く
週末、たまたま時間が空いたとき。
特にやることがなければ、TOEICの公式問題集や、英検の過去問に取り組む。
2時間フルで解いて、答え合わせまで含めると3時間ほど。
不思議なことに、英語の資格勉強は「時間を無駄にした」という後ろめたさがない。
クイズやパズルを解いたような感覚が残る。
移動中は、
- 英検準1級のパス単
- TOEICの「金のフレーズ」
をカバンに入れている。
使わなくてもいい。持っているだけで安心する。
年の前半は英検、後半はTOEIC。
そう割り切るだけで、迷いが減った。
英字新聞は、今も続いている唯一の習慣
かつては、NHKラジオ英語やポッドキャストの英語ニュースにも挑戦した。
けれど、今も続いているのは、英字新聞を使った二つの習慣だけだ。
- 見出しザッピング
- 社説の音読
これを、ほぼ毎朝やっている。
すべてを精読する必要はない。
英語を「生活から切り離さない」ための、最低限の接点として、ちょうどいい。
社会人には「年1回×2種類」が向いている
社会人が英語学習を続けたいなら、
年に1回、TOEICと英検を受ける。
私はこのくらいが、いちばん現実的だと思っている。
TOEICだけ、英検だけだと、どうしても「受験対策」に寄ってしまう。
結果を出さなければ、と構えてしまう。
でも、能力チェックだと思えば、TOEICも英検も優れたテストだ。
必要なのは、テクニックではなく、ひととおりの英語力。
頻繁に受けすぎると、受験そのものが目的になってしまう。
それでは、英語を趣味や知的レジャーとして楽しめない。
英語資格は「趣味として使っていい」
もう、スコアや合否に一喜一憂する世代ではない。
だからこそ、英語資格を、もっと気軽に使っていい。
5月の英検、11月のTOEIC。
この2つは、私にとって英語趣味の集大成だ。
毎日やらなくてもいい。
でも、完全にはやめない。
それが、今の私にとって、いちばん続く英語との付き合い方である。(了)
